中町教会『長崎歴史 観光』

中町教会は聖トマス西と15人の殉教者に捧げられた教会。

全国区の知名度としてはそれほど高くはない中町教会ですが、歴史は深い教会です。

徳川幕府の江戸時代、禁教令がある中、さらにキリスト教信者への迫害は徹底した。宣教者は追放、厳しい探索で、捕まった人は拷問を受けるようになりました。そこには、火あぶりや水責め(大量の水を飲ませ、腹部に大きな石を乗せ目や鼻、耳から血水を噴き出させたりする)拷問刑があり、1597年、長崎市の西坂の丘で26聖人が殉教。1622年に56人の方々が処刑。1627年雲仙地獄の拷問など、多くのキリシタンが亡くなられました。

そして、この中町教会は26聖人に捧げられたと言われたりしますが、実は聖トマス西と15人の殉教者に捧げられた教会です。

聖トマス西 ドミニコ会の司祭

聖トマス西は平戸の先にある生月島の出身で、初めてドミニコ会(ローマ教皇に認可されたカトリック修道会の司祭に日本人で初めてなった方。1626年フィリピンのマニラで司祭となり、1629年長崎に渡って来たと言われ、共に信徒に宣教していた神父を看病していたところを見つかり、過酷な拷問に会いますが、信仰を棄てず、1634年 西坂の丘で穴吊りの刑によって44歳で殉教しました。「長崎十六聖人(聖トマス西と15殉教者)」は、1987年(昭和62)、教皇ヨハネ・パウロ2世によって聖人に列せられた。 1597年に西坂で殉教した「日本二十六聖人殉教者」が1862年に列聖されてから、125年という年月のことでした。中町教会では、現在も毎年9月の第4日曜日には記念ミサが行われています。

中町教会ヒストリー

創立者は島田要助神父。殉教という酷く苦しめた過去の歴史の中で、明治22年にキリシタン大名大村純忠の大村藩蔵屋敷跡である、この中町に教会を造ろうと動き出した。 明治24年8月、フランスのパピノー神父の設計建設に着手。フランス人たちや多数の協力のもと、ロマネスク様式の大聖堂「西中町教会(当時の名称)」が完成したと言われています。

第2次世界大戦の時、長崎に原子爆弾が投下され、教会も大被害にあったのですが、世界中の人々からの献金が贈られ、なんとか焼け残った外壁と尖塔を活かして白亜の教会堂へと生まれ変わりました。

教会敷地に、長崎十六聖人殉教の碑が建立、長崎十六聖人殉教をモニュメントにした像があります。(また今度、時間がある時に撮影したいと思います。)

石碑の言葉
この教会は、殉教者の功を称える国内・外の篤志を集めて 一八九七年(明治三十年)創建されました。 西坂の丘では、一五九七年、三人の少年含む、宣教師、信徒たち、 二六人が磔刑(たっけい)に処されましたが、西坂の丘を血で染めたのは、 これら二六人の殉教者のほか、その後の二五十余年、酷烈を極めた迫害に 従容として生命を擲った、幾百の、信仰に萌える人人でありました。 今日、これから先達の殉教を偲び、幾多の輝かしい信仰の遺産を次代へ 引き継ぐために、創建九十周年記念のモチーフとして、ここに、三人の 少年殉教者を選び、記念碑とするものであります。
一九八六年 九月
なお、現聖堂は、原爆のため倒壊した旧聖堂の礎石の上に、一九五一年、 同規模で再建したものである。
ステンドグラスに光が反射し、とても綺麗です。過去の残酷な刑罰の話も現代に語り継がれる意味を深く考えた時間でもありました。 聖トマス西と15殉教者に捧げられた教会であり、毎年9月の第4日曜日に殉教者記念祭が行われます。

中町教会の通常ミサ  曜日と時刻

  • 主日ミサ |土曜日 17:00〜 / 日曜日 午前6:30と9:00〜
  • 週日ミサ |月~土曜日 午前6:30〜 / 木曜日 19:00〜

毎年9月の第4日曜日に殉教者記念祭が行われます。

アクセス

中町教会

住所 〒850-0055 長崎市中町1-13
TEL 095-823-2484
FAX 095-823-2486
mail nakamachi_catholic@yahoo.co.jp
開門時間 年中無休 6:00~18:00

最寄りの交通機関

路面電車 桜町電停/長崎駅前
路面バス 長崎駅前東口バス停/桜町バス停
JR 長崎駅から 約 7 分

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