長崎市制130周年 【1889〜2019 history】&【koko’s長崎】

長崎市 nagasaki city history

2019年4月1日。長崎市制130周年記念を迎えた

外国への玄関口として発展してきた港湾都市で中核市、1889年(明治22年4月1日)市制。
当時の人口は54,500人と言われ、現在の人口は 約 413,000人。
そうした背景の中、2019年4月 長崎市制130周年を迎えた。

長崎港には沢山の船が行き交い諸外国との交流が盛んで、江戸とはまた違った活気溢れる街だったそうだ。
市制130周年とともに、長崎市の歴史をここで振り返ってみよう。

長崎市は古くから、ヨーロッパと中国の文化が融合した街

長崎県庁所在地、長崎市

1571年(元亀2年)ポルトガル船の入港以降、急速に海外貿易港として発展。江戸時代は貿易港出島から、オランダやポルトガル・中国から多くの文化が入ってきて繁栄した。
そうした外国の影響や、坂が多い事もあり 大浦や南山手、東山手など異国情緒に満ちた港町として他都市とはまた違った景観が見える。

出 島

市制前 1636年(寛永13年)

出島は市制前だが、長崎を作り上げる重大な基盤となる。ポルトガルを始めオランダ貿易など西洋文化を取り入れ多くの歴史を作り上げた場所。

海に浮かぶ人工島「出島」1634年から建造が始まり、完成は1636年(寛永13年)面積約15,000平方メートルの扇型となる小さな島。

きっかけは天草四郎の島原の乱

島原はキリシタン大名である有馬晴信の所領であり、領民はキリスト教信仰が盛んだった。幕府はキリシタン弾圧を掲げ 過度なる年貢負担に加え、キリシタンの迫害、飢餓となる弾圧から、1637年 〜 1638年(寛永15年)、長崎県島原・熊本県天草で起こった【島原の乱】歴史上最大規模となる農民一揆。首領を益田四郎時貞(天草四郎)とし、島原の原城を起点に、幕府のキリシタン弾圧に対抗した。これをきっかけに幕府は更なるキリシタン撲滅への道が加速する。

平戸商館から出島へ

平戸商館は、貿易を許可されたオランダ東インド会社の拠点だった

平戸商館は、1609年(慶長14年)徳川家康(江戸幕府)から貿易を許可された東インド会社が平戸において貿易を行う拠点だったが、1641年(寛永18年)出島へと移転した。

その流れ

江戸幕府がキリシタン撲滅のため、外人流入防止策として出島を建造したのだが、当時の日本は生糸などが必要だった。オランダ東インド会社への不安から1636年〜1639年(寛永16年)の期間、ポルトガル貿易が始まる。しかし、オランダが日本への輸入品を確実に提供できることを主張。
1639年(寛永16年)幕府は長崎奉行や九州地方の大名に「第5次鎖国令」を発布して、ポルトガル人を出島から退去させた。その後ポルトガルが長崎との貿易を再開する為、使者を送るがそれを幕府は処刑したことから出島は無人状態に陥った。幕府は、東インド会社を出島へ移転させ約200年の年月の間、西洋貿易を交わす窓口として成り立った。

市制130周年の歴史

路面電車

1915年(大正14年)

1915年(大正4年)に営業を開始した路面電車が築町〜浦上間を走った。現在路線を延長して、長崎市住民の足となる他、観光客の足として多くの人々が利用する。
現在、大人130円一律料金。

第2次世界大戦と原爆

1939年(昭和14年)

ドイツ軍がポーランドへ侵攻したことから第2次世界大戦が開戦。ドイツ、日本、イタリアを中心とした三国同盟とイギリス、フランス、ソビエト連邦、アメリカ、中国などの連合国が対戦。

長崎には長崎三菱造船があり、海上自衛艦の衛護艦などを建造。旧日本海軍の戦艦『武蔵』を建造した事でも有名。

原爆投下

1945年(昭和20年)

第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分、アメリカ軍が長崎市松山町に原子爆弾を投下。

当時の長崎市人口 約 240,000人
原爆による死者 73,884 名
重軽傷 74,909 名
罹災人員 120,820 名
(半径4キロ以内の全焼全壊家屋の世帯員数)
家屋全焼 11,574 戸
家屋全壊 1,326戸

長崎市原爆資料保存委員会の昭和25年7月発表の報告

原爆資料館

  • 1949年(昭和24年)5月に原爆資料館が開館。
  • 1955年(昭和30年)都市計画と原爆資料館を設け、多くの人々に戦争、核兵器の悲劇を伝える。
  • 1996年(平成8年)4月に現在の「長崎原爆資料館」に建替え。

平和公園

  • 爆心地、松山町に平和公園が被爆10年にあたる1955年(昭和30年)8月8日に完成。

長崎大水害

1982年(昭和57年)

1982年(昭和57年)7月、長崎市は集中豪雨を浴び大災害が引き起こされた。
散々たる被害を受けた長崎市と西彼杵郡(長与町・時津町)。

  • 長与町、1時間の雨量、187mmを観測、1時間降水量の日本記録。
  • 外海町、2時間の雨量、286mmの歴代最大記録。
  • 長崎市、3時間の雨量、313mm(6月平均雨量)を記録。

降り始めから24時間の計測が527mmを観測。大水害と名を称するが、坂の街長崎は土砂災害による被害も大きかった。
さらに、長崎北部の浦上川、長崎東部の八郎川、外海地区の雪浦川など氾濫し、長崎市中心部にある中島川でも氾濫、観光名所で有名な眼鏡橋も半壊という痛ましい過去を持つ。

長崎大水害の被害

死者・行方不明 299名
負傷者 805名
家屋全壊 584棟
家屋半壊 954棟
床上浸水 17,909棟
床下浸水 19,197棟
被害総額 約 3153億1000万円

 

長崎夜景

港町と言われる長崎は、深く入り込んだ港が鶴が美しく羽を広げた様子に見えることから、「鶴の港」と呼ばれ、大型旅客船が入・出航。

長崎の夜景

長崎の夜景は世界からも美しいと賞賛を浴びる。
稲佐山からの夜景が特に有名で、それを取り巻く標高300~400m級の山が衝立のように囲んで稲佐山の夜景は1000万ドルの夜景と謳われ、函館、神戸、長崎の日本三大夜景とも言われていた。
平成24年(2012)モナコ、香港、長崎の3都市が新世界3大夜景に登録

2015年(平成27年)夜景観光コンペンション・ビューローから日本夜景

日本3大夜景
2015年 夜景観光コンペンション・ビューローから日本夜景
  • Ranking 1:長崎 (天空の星空を映し出す鏡)
  • Ranking 2:札幌 (北の大都市の’光の絨毯’)
  • Ranking 3:神戸 (進化する湾岸夜景)
    とキャッチコピーを銘打たれ、この3都市が日本新3大夜景に認定

 

世界遺産

2015年7月 世界遺産登録

長崎の世界遺産
ー「明治日本の産業革命遺【軍艦島(端島炭坑)】」・「小菅修船場跡」・「三菱長崎造船所第三船渠」・「長崎造船所 ジャイアント・カンチレバークレーン」・「長崎造船所 旧木型場」・「長崎造船場 占勝閣」・「高島炭坑」・「旧グラバー住宅」ー
天草市を含め長崎県では「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が登録され、観光都市として観光面にもチカラを注ぐ。

姉妹都市・友好都市

姉妹都市

  • 1955年(昭和30年)12月/アメリカ:セントポールと姉妹都市締結
  • 1972年(昭和47年)7月/ブラジル:サントスと姉妹都市締結
  • 1978年(昭和53年)5月/ポルトガル:ポルトと姉妹都市締結
  • 2005年(平成17年)1月/フランス:ヴォスロールと姉妹都市締結
  • 2017年(平成29年)11月/オランダ:ライデンと姉妹都市締結

友好都市

  • 1957年10月(昭和32年)10月/中国:福州と友好都市締結

koko’s長崎、なぜ制作しているのか?

個人の制作所でも、出来るものは出来る!

長崎130周年事業とは関係はありませんが、偶然にも2019年から長崎情報サイトとして始動。
なぜ、長崎情報『koko’s長崎』を始めたのか。長崎は人口減少に歯止めが立たない。
上記に記述した歴史をもつ長崎の地域活性、未来創世のために私1人では何もできないですが、koko’s長崎を作り長崎の情報を発信することで多少なりの活性力の影響はあるはず!と信じています。

グラフィックデザイン事務所から広告代理店を出て、害虫駆除業では企画営業主任として売り上げに貢献して働いておりました。
今は個人でグラフィックデザインを行ってはいるのですが、小さな制作所として見向きをされないのは悔しいところ。

おかげさまでアクセス数も急増中

このkoko’s長崎は、2019年1月26日から始動したサイトですが、長崎県各地のイベント情報がメインとなっているにも関わらず、現在4月すでに6,000pv以上の結果が出ています。

長崎は日本で最西端となる為、地理的にも産業が盛り上がりにくい場所の中、私は長崎で頑張る事業主のチカラになりたい気持ちが込み上げます。
みなさんから掲載してもらえる事で情報を知りたい方々がkoko’s長崎に訪問し、更なるお店の集客や認知度UPにもつながり、そうなればkoko’s長崎のpv数もさらに上がる事により、長崎を盛り上げる事につながります。

広告費の改革

負担にならない掲載料金と長期掲載が魅力!

広告費に圧迫され経営困難になる事も私は多く耳にしてきました。このサイトは、定額をこだわり長期掲載の基、お店・会社の紹介/広告/求人情報と3つを用意しています。気兼ねなく掲載でき広告費の圧迫を無くすことを信条として進行しています。

このサイトを通し信用を積み上げ、事業主とお付き合い出来ることを心から願っております。

長崎の人口推移

長崎県の人口推移と予想 長崎県の人口は1960年がピーク

1960年の長崎県は 1,760,400人だった。

現在の長崎県の人口推移を見てみましょう。(2045年の予想が出てるので、掲載しています)

2000年 2010年 2015年 2045年
長崎県全体 1,517,000人 1,427,000人 1,377,000人 982,000人
長崎市 470,000人 443,700人 429,500人 311,000人
佐世保市 274,300人 261,100人 255,400人 202,000人
西海市 35,288人 31,176人 24,691人 15,801人
雲仙市 52,200人 49,900人 44,100人 25,200人
南島原市 57,000人 50,300人 46,500人 23,900人
平戸市 41,500人 34,900人 31,900人 15,400人
松浦市 28,300人 25,100人 23,300人 12,700人
対馬市 41,300人 34,400人 31,400人 13,700人
壱岐市 33,500人 29,300人 27,100人 14,600人

GD Freak! より引用

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